「家庭で育つ子どもたち」〜イギリスのホームスクーリング事情を聞く〜

                     2002年5月18日(土)1じ〜4じ 於:法然院

 

:こんにちは。ごしょごしょクラブの岡です。今日はようこそおいで下さいました。簡単に紹介します。こちらが今回イギリスから来られたホームスクーリングをされているバリーさん一家です。イギリスではふつうホームエデュケーションというのですが、日本ではホームスクーリングの方が一般的ですのでこの集まりではホームスクーリングという言い方をしています。

会場:それは違うんですか?

:いえ、同じことなんですけど・・・。

バリー:スクーリングというと9時から5時まで座って、ちゃんと、っていうイメージがあるので、私たちはそういうふうには言いません。

:私たちの集まりも、別名「ホームスクーリングネット京都」と言ってはいますが、その実態はほとんど「ホームプレイング」とか「ホームリビング」といったような状況で、「スクーリング」という感じではないのですが。ではご紹介します。お父さんのバリーさんです。

バリー:こんにちは。(拍手)

:で、お母さんのクレアさんです。

クレア:こんにちは。(拍手)

:で、あの、あとお猿が二匹と・・・(会場笑)。

西村:(マックスとキリアンに英語で)お猿が二匹だって言ってるよ!

:ノーノー、ジェントルマンて言ったよ(会場笑)。えー、あの、マックスとキリアンです。12歳と9歳です(拍手)。えー、もう一人、かわいい妹が。(後ろにいたアリスが呼ばれてお母さんの膝に座ってニコリ)アリスです。6歳です(拍手)。これからお二人に1時間ほどお話していただいて、その後休憩をとっていただきます。それからちょっと15分ほどジャグリングのお遊びがあって、そのあと質問など受けながら意見交換していきたいと思います。それから、急なお願いにもかかわらず、快く引き受けて下さった通訳の西村さんです(拍手)。

西村:つたない英語と日本語で一生懸命させていただきます。

:ではよろしくお願いします。

バリー:ハイ、コニチワ。

会場:こんにちはー。

バリー:日本語はほんとにちょっとだけですみません。一日にひとつぐらいづつ覚えていくという形で。私たちはロンドンを代表してというわけではなくて、一つの例としてここでお話しさせていただきます。エデュケーション、教育という言葉は民主主義という言葉と同じくそれについて人々が特に疑問を抱くというようなことはありません。子どもたちにとって何が一番大事で何が必要かということを一番よく知っているのは子どもたち自身です。そして、二番目によく知っているのはその両親です。私の友人がその娘さんと学校に行ったとき、そこの校長先生が、親であるあなた自身が教育のエキスパートであると言ったことを覚えていますが、こんなことを言う先生はあまりいません。ホームエデュケーションとは、単に「家で教育する」ということを意味するのではなく、生活全体から学ぶと言うこと、つまり本当の意味で経験するということを意味しているのです。子どもたちはひとりひとり、みな違っています。もちろん大人もそうですが。一つの家族に属する子どもでも、子どもはひとりひとり学び方や能力が違うのです。だから私たちは教育というのは、共同作業だと思っているのであって、私の家は一つの小さなコミュニティーみたいなものです。ところが今の教育の体制は、子どもたちのためではなく、親のためでもなく、産業界のためのシステムになっています。もちろん教師はよく働いていますし、熱心に教育しようとしています。しかし、子どもたちは工場で生産される製品ではないのです。子どもたちが何かを本当に学ぶためには十分な自由がなければなりません。質問をしてそれに答えてもらうための自由な時間がなければ、何かに興味を持つということもないのです。私たちは私たちのささやかなやり方で、社会がもっと健全なものになることに貢献していきたいと思っているのです。しかし、時にはなぜ自分がそれをやっているのだろうと思うことがあります。ふつうの人間である私たちがなぜ、と。しかし私たちは普通の人間ではありますが、恵まれていたのです。ホームエデュケターたちのコミュニティーがあるからです。そのグループに貢献し合う、お互い得るところがあるということが、私たちにとっても、子どもたちにとっても、又、グループのメンバーお互い同士にとっても重要なことなのだと思っています。私の話はここまでです。次はクレアにかわります。

クレア:えー、コンニチハ。

会場:こんにちは。

クレア:私たちホームエデュケーションをしている家族の一日をお話したいと思います。日によってやることは違っていてこれが典型的なホームエデュケーションだと言えるようなものはありません。今日は私のベッドの大混雑から一日が始まりました。アリスは私にゆうべ見た夢のことを話し、キリアンはベッドの上でアクロバットみたいなことをしていました。マックスは「ロードオブザリング」を読んでいました。最初にベッドを離れたのはマックスで、彼が朝食のポリッジ(おかゆみたいなもの)を火にかけ、私のお茶も作ってくれます。キリアンとアリスが見あたりません。もうカードの遊びに夢中になっているのです。

いつも朝食を食べながら、今日することについて話します。キリアンはいくつかお出かけの計画があると言います。彼は銃とか軍隊とか兵器とかに興味を持っているので、戦争博物館に行きたいと言っています。彼はものを集めるのも好きです。テレホンカードとか海や川に落ちている石や貝殻とか、切手とか、自分で本物そっくりに色を塗ることのできる兵隊の人形などを集めるのです。マックスは、友だちの家へ泊まりに行って、新しく手に入れたゲームを見せて、戦槌の模型に色を塗って、サッカーをするんだと言います。アリスは、お菓子を作って、絵を描いたり字を書いたりすると言っています――家中の壁紙を新しいものに変えなければならなくなりそうです――。これは一つの例で、いろいろ違ったことをして毎日を過ごしています。子どもたちは家の中で自由なので自分たちのやりたいことをを自分たちで選び取っていきます。

ああ、そうだ、きょうは他のエデュケーションアザワイズの友だちと一緒にゴーカートをしに行くことになっていました。バスに乗って近くの公園へ行きました。そこではエンジンがどのようにして動くかというのを学習すれば、自分たちで運転してコースを回ることができます。子どもたちは自分でコースを一周することによって自信を深めます。彼らは自分の納得いくそれぞれのやり方で、スピードの上げ方やコントロールの仕方を身につけていきます。成績をつけられることもないし、学校の子どもたちがよくやるように教室に帰ってからそのレポートを書かされるといったようなこともありません。子どもたちは新しい経験をして自信を持ったのです。評価されることもなく、子どもたち同士、楽しく交流を深めながら。

キリアンは家に帰ると、積み木で自分の兵士に基地を作ります。輪ゴムやボール紙、絵の具などが要ると言って、木の串で槍を作り始めました。いつも次々と新しいことを考えつくのです。アリスは私に自分のお気に入りの本を読んでと言ってきました。きょうは『ハリーポッター』。ああ、でも私は夕食の用意をしなくてはいけません。代わりにキリアンが読んでくれました。私が「ご飯ですよー」と言ったときには、子どもたちは居間に小さな家を完成させていて、その隠れ家でご飯を食べたいと言いました。そうそうマックスは、ゴーカートのあと友だちの家に行ったので、そのとき家にはいませんでした。きょうはそのまま泊まってくるでしょう。EOでは、そうやって友だちの家を行き来してお泊まりに行くというのをよくやります。子どもたちは野外行事や定期の集まりで会うとたいていお互いの家に泊まりに行きたがります。子どもたちがよその家で過ごしてくれると大人も息抜きができて楽です。また反対によその子どもが家に来てくれると、自分の家の子どもがみんな一緒にいて兄弟ゲンカが止まらないという状況よりずっと楽に過ごせるというのもよくあることです。

子どもたちは、この世に生まれ、歩き始め、話すことを覚えて、いろいろな難しい社会的なルールも学んでいきます。子どもたちはそうやって育っていきながら、自分たちを取りまく新しい環境の中で、物事に正しく対処する方法や、危険なこと、楽しいことを学びます。そして子どもたちは学校へ行き始めるのです。教室で学習するというのは社会に深く根付いていることなので、別の方法で教育することを理解してもらうというのはなかなか難しいことです。周りの人からは、どういうカリキュラムで、どういうふうに理解度を確認し、どういうふうに採点するかというようなことをよく聞かれます。私たちはいつも、私たちの学習のやり方はそういう方法ではないと答えます。その時その子が興味を持っていることがカリキュラムとなるわけです。たとえば去年の夏、キリアンは庭に高飛びの装置をこしらえ、毎回少しずつ高くしながら自分が何センチ飛べるようになったかというのを記録していきました。一方、マックスは午後のほとんどを本を読んで過ごし、アリスは、部屋の中にいくつかヒントや印をつけて私たちに宝探しをさせてくれる、といった具合です。これがかれらのカリキュラムなのです。

学校よりも家の方がずっと柔軟性を持って対応することができます。親はその時の状況に合わせて、子どもたちによりふさわしい時間を考えてやることができるのです。もし親が算数か何かを1時間計画しておいたとしても、子どもたちの方が気が乗らなければそれは後にします。子どもたちが何かしたいという気分はいつ起こってくるかわかりません。例えば夕方遅くなって突然何か思いついたり、何かの計画にのめり込んだりということもよくあります。また、ただ座って何をしようかなと考えることもありますが、それもまた大切なことです。そう、学校でできないことの一つに、このように子どもたちがただボーッと座っていろいろものを考えるということがあります。家の中ではそれも可能です。子どもの眼に戻って少し大人の方が引いて、何をしてやればいいか考えるということが子どもにとっての援助になります。子どもたちが今までに蓄えた自分の経験の上に新しい知識を加え、すでに知っていたこととうまくつなぎ合わせるというやり方で物事を学ぶなら、それは難しいことではなく忘れることもないのです。

私たちの暮らしはとても忙しくあわただしいものになっています。朝早く起きて子どもたちを学校に送り、迎えに行って帰ってきて、少しの時間一緒に過ごしますが、一通りのことが終わった後はみんなとっても疲れてしまっています。でも、うちの子どもたちを見ていると、一つか二つのことに熱中して、それを二、三週間かけて学習して自分の中にじっくり取り込んでいくということがわかります。そして突然子どもたちの興味は別のことに移るのです。

今子どもたちに教育や他のことでの選択肢を与えるということは、彼らがのちに16歳か18歳くらいになって自立する時、より責任ある行動がとれるようになることを意味しています。学ぶ時に自由をたくさん持っていた人ほど、つきあいやすいですし、そういう人の方が成長の後、教育が本当に好きになるようです。

子どもたちの学び方は実にいろいろです。言葉に敏感な子は、読んだり、話したり、文章を書いたりするのを好みます(sensitive to language)。一人で学んだり問題を解いたりすることが好きな子もいます。彼らには静かに考える時間が必要なのです。またある子どもは、音楽に非常によく反応し演奏を通してもっともよく学び、歌によって物事を理解します。また、常に体を動かしている子どももいます(bodily-kinesthetic)。彼らは、スポーツが好きだったり、芝居で役の人物になりきったり演技したりするのが好きなのです。

アメリカでの最近の研究によれば、非常に成功した人たちの成長過程には三つの要因があります。第一に、自分を愛してくれている大人、あるいは教育的な活動についての考えを持った大人から十分な配慮を受けること。第二に、想像性豊かな環境が整っていること。第三には、他の子どもとの適度な、ただし大人によってよく見守られた交流。この研究者は、型にはまった硬直した多人数の学校教育システムが、成果を挙げることを妨げていると結論づけています。

ホームエデュケーターの方が社会性を育むための豊かな環境を創り出すことができます。

1、子どもたちは、図書館や博物館や名所や遊技場などを利用し、いろんな年齢の人たちと付き合いながら、家庭をジャンプ台のようにして地域社会の中に入っていきます。

2、子どもたちは地域の中にある、工作クラブやボーイスカウト、ガールスカウト、柔道や水泳、テニスなどいろいろなクラブにも参加します。

3、他のホームエデュケーターと交流して、そこの家族や日中時間のあるお年寄りと一緒に過ごすこともできます。

ではここで、私たちが所属しているホームスクーリングの全国組織である「エデュケーションアザワイズ」(以下EO)について少しお話ししたいと思います。EOは、ホームスクーラーを援助しその親たちをつなぐために約30年前に設立されました。イギリスの教育法では、子どもは学校またはその他の方法で(otherwise)フルタイムの教育を受けなければならないと定められています。今ではEOの会員はイギリス全土でおよそ2万家族、あるいはそれ以上に増えています。初めは小さな組織でしたが、今では、EOには、評議会、議長、会計、広報、データベース管理といった部署があって、そこでは自発的にできる範囲で会員が働いています。収入は年15ポンドの会費と各種助成金です。

このEOは、学校制度の外で子どもたちを育てている家族を力づけ支援するものです。年に一度総会が開かれ、また非常にたくさんのキャンプも催されるので、国中のいろんなところから来たグループと知り合うことができます。これらはふつう夏に行われます。昨年はイングランド南部海岸地方でホームエデュケーターフェスティバルというものが開催されました。約1000家族がこれに参加し、キャンプをしながら1週間をここで過ごしました。そこではすべてボランティアの手によって様々な活動が用意されていました。例えば工作コーナーや野外コンサート、トラックの移動サウナ、キャンプファイヤー、ホームエデュケーションに関するおしゃべりや討論会、小さなレストランが用意した食べ物いろいろ、またティーンエージャーのための集まりなどです。

EOに参加したいと思った人は、普通、まずその人の地元のグループに連絡を取ります。それらのグループは本当に千差万別ですが、やはりすべてボランティアによって運営されています。地域ごとに世話人がいます。田舎の地方では、他の家族と会うために少し遠出をしなければならず、したがって、月に一度か二度ほどしか集まりがないかもしれません。

EOは、地方教育局の担当者がやってきて家庭が査察を受けたり、時には法廷に引き出されたりする時にも手助けをします。EOは、家庭で教育する権利のための闘いを法的に支援することができるのです。またEOは、ラジオやテレビ、教育関係の新聞、また女性や家族向けの雑誌などマスコミでしばしばしば紹介されています。しかし残念なことに、ほとんどの教師や家族はそれが合法的であるということを知りません。

私は5年前に地元で一つのグループを立ち上げました。毎週2時間ほど地域の公民館に集まります。その後近くの公園に行って2、3時間を過ごします。子どもたちはその後お互いの家に行って寝泊まりし、社会性を深めます。こうすることで彼らはより仲良くなり信頼を深めることができるし、親の方は、しばし子どもを一人で見ることから解放されてホッと一息つけるのです。

最初は8〜10家族で始めましたが、今では30家族くらいになっています。ロンドン南東部をすべて含めると、60家族ぐらいになります。

私たちのグループに参加する家族というのは、その動機によって二通りに分けることができます。一つは家で教育することが子どもたちにとって一番よい方法だという信念を持って参加する人たち、そしてもう一方は子どもが学校教育のシステムの中でひどく疲れてしまい、ホームエデュケーションを考えるようになった人たちです。これらの子どもたちが精神的に学校から自由になる(deschool)ために、またその親たちが、子どもたちは家でもちゃんと成長し学んでいるんだという自信と信頼を得るためには、少なくとも半年から1年という時間を必要とします。

どのグループでもそうだと思いますが、私たちはある学びの課程を通過します。最初、親(ほとんどの場合は女性。男性は2%ほど)はたくさんの活動をどんどんやろうとします。でもいくつかの家族、特に小さな子どものいる家族はそれは難しいということに気がつきます。そうして私たちはもう少しゆったりと子どもたちと関わるようになるのです。工作やゲームといった簡単なことに夢中になれる人なら誰でも、やろうと思った時にそれをやれるのだということに気付くのです。私たちはしょっちゅう新しい家族を迎えるので、私たちの集まりは、子どもにとって大事なのと同じように、大人にとってもまたとても重要なのです。

この何年かの間に、私たちのグループでは幅広くさまざまな企画を行ってきました。クリスマスには、親の手作りの衣装を着た子どもたちが、ほとんど即興で劇を演じました。豆祭りでは、子どもたちが自分たちでいろんな出し物を考えてみんなで楽しみました。入場したお客は子どもたちからお豆をお金として渡されます。どの出し物もそれぞれに料金が決められています。サイコロゲーム、手作りポップコーン、魔法のジュース、子どもたちオリジナルの楽しいゲームなどがありました。

また私たちのグループには、ちょっとかわったすてきな昆虫や小動物を見せに来てくれるおじさんもいます。私たちは子どもたちのパーティーもたくさんやりました。

私たちは教育に関わるグループと見なされているので、博物館などのイベントは無料だし、劇場や野生生物センター、動物園、公園なども大幅な割引価格で利用することができます。さまざまな機関が、私たちを教育団体として認めているのです。

EOはイギリス国内の一つのホームエデュケーションのグループに過ぎません。他にホームエデュケーティング・アドバイザー・サービスや学校の外で子どもたちを育てるためのさまざまな地方の宗教的なグループもあります。

私たちはまた、週末旅行も企画します。オフシーズンに安い料金でユースホステルを借りて、8〜10家族ぐらいが一緒にうち解けて過ごすのです。私たちはみんなで一緒に料理したり、散歩を楽しんだりします。

では最後に、著名な作家や科学者が教育について書いたものをここでちょっと引用してみたいと思います。

バリー:非常に多くの著名人が、彼ら自身、学校には行かなかった、またうまくなじむことができなかったというような事実があることが近年わかってきました。

まず、ジョージ・バーナード・ショー、大変有名なイギリスの劇作家です。

「学校は、私に、それが教えていると公言していたことすら教えることに失敗しただけではなく、私から教育そのものを奪ったのだ。もし家で一人でいたら学べたであろうことのすべてを思うと、私は腑が煮えくりかえった。」

次はアルバート・アインシュタインの話です。

「現代の教育方法が、この神聖な好奇心、つまり、ものを知りたいという心を絞め殺さないとしたら、それは全くの奇跡である。この繊細な植物が必要とするものは、若干の刺激を別にすれば、自由だからである。自由がなければ、好奇心は間違いなく枯死する。観察したり探ったりする楽しみが、強制とか、ある種の義務感によって促進されると考えるのは、重大な誤りである。むしろ、獣に、空腹でないのに、餌を食べることを鞭で強制し、あてがわれる餌の種類も強制的に選ばせるといったことが可能であれば、健康な獣から食欲を奪うことができるだろうと私は思う。」

次は人類学者のマーガレット・ミードの話です。

「祖母は私に教育を施したかったので、学校へは行かせませんでした。」

ホームエデュケーションをしている私の友人の一人は、自分の子どもは、友だちと一緒に遊ぶのが忙しいので学校に行く暇がないと言っています。

ジョン・テーラー・ガット、彼は、1991年に「ニューヨーク州最優秀教師」に選ばれた人ですが、彼が10年前に書いた本によれば、「学校および学校教育というものは、近年地球上の偉大な事業とはますます関係ないものになりつつある。今やだれも、科学者が理科のクラスで、政治家が公民のクラスで、あるいはまた詩人が国語のクラスで学んだからそうなれたなんて思っている人はいないだろう。学校は指示に従うということ以外、何も教えていないというのが真実だ。」

最後に、児童文学作家のモーリス・センダックの言葉です。

「私は学校が、きらい、きらい、本当にだいっきらいだ。もし君に何か才能があるとしたら、学校というのは君にとって全くの役立たずだ。君は君自身の独自の方法で、才能を伸ばすべきなのだ。」

以上です。もしご質問があればお答えします。

:どうもありがとうございました。えー、一応お話はここまでということで、今から休憩をはさんでミニ・ジャグリングショーを見ていただいて、おやつも食べていただいて、その後、質疑応答に入りたいと思います。

<休憩>おやつはクレアのおみやげ、イギリス名物「酢と塩味のポテトチップ」と、九州

    の会員さんが送ってくれた「丸ぼうろ」というポルトガル由来のお菓子

<ジャグリングショー> 京都大道芸倶楽部のおにいさん

<質疑応答>

会場:ふだん自宅で、奥様とだんな様とどちらが子どもさんをみられるんですか?

クレア:普段はバリーは仕事があります。今は私が家にいるのでみていますが、両親がそれぞれに短時間ずつ働き、仕事の分担をして、両方が交替でみる場合もあります。一週間のうち何日かはお父さん、何日かはお母さんがみたりもします。

バリー:今、うちの場合は一週間に4日私が仕事をしていますが、そういう形もとりたいと思います。

クレア:他の国々でもそうだと思いますが、イギリスにおいてもこれからいろいろな働き方ができるようになるでしょう。パートタイムで短時間働き、その他の時間は家にいるとか、コンピューターを使って家で仕事をするなどすれば、家で子どもをみられる時間は長くなります。子どもたちが成長して12歳から16歳以上になれば、自分のことを自分でできるようになるので、親が外に出て働くということもできます。一般的に言って、ホームエデュケーションしている家庭というのはあまり経済的に豊かではありません(笑)。二人が働くのではなく、一人で家庭を支える場合が多いからです。

会場:日本の場合は、子どもが学校に行かなくなっても在籍はしていて、学校との関わりを完全になくすわけにはいかないのですが、イギリスの場合はどうですか?

バリー:イギリスでは子どもを家でみる選択をした場合、日本のように学校に籍を置く必要はありません。それは法律で認められています。学校にいったん入れた場合は、退学させるという形になります。

会場:もし子どもがまた途中で学校に行きたいという場合はどうなるんですか。

バリー:いつでも学校に戻ることはできます。何の問題もありません。

クレア:そしてまたいつでもやめられます(笑)。

バリー:日本の学校は家庭訪問などいろんな形で子どもたちをきめ細かくみているようですが、イギリスではそういうことがない分、関係がもっと明確で自由です。

クレア:学校からの支援や手助けをしてもらえればそれはそれでいいけれども、学校は学校で忙しいのでこちらの方まで手助けするのは難しいでしょう。

バリー:また学校から多くの支援を受けると干渉も増えてくるでしょう。税金が教育を施すという時、私たちの子どもは学校へ行っていないのだから、その分政府から返還金としてもらってもいいのではないかと思います。

クレア:税金を受け取ると、また干渉も増えるかもしれません。干渉なしのお金なら欲しいですが。

会場:テレビやテレビゲームについてはどのようにお考えですか?

クレア:テレビを見ることについては家によっていろいろな考え方があると思います。うちでは、何を見るかどれだけ見るかをだいたい決めて、見たいだけ好きなだけ見せるというふうにはしていません。教育テレビの番組を利用している家族もあります。私は個人的にテレビはあまり好きではありません。

バリー:例えば、学校に行く前にテレビを見る。学校に行けば学校の指示に従っての時間がある。そしてまた帰ってきたら、テレビゲームをしたりテレビを見たりする。私たちとしては子どもたちにもっと自分自身の中で夢を見たり想像したりするということを大切にして欲しいと思っています。

会場:子どもたちが大きくなって、高校や大学へ行かなければできない仕事をしたくなった場合はどうされますか。

バリー:それを決めるのは親ではなく子どもたちですが、例えば子ども自身が大工になりたい医者になりたいなど何でも可能です。親はできるだけの手伝いをします。もし医者になりたいという場合は私たちが教えることはできないので大学へ入ることになります。14歳くらいから入れる大学もあって、そういうところでいろんな年齢の人と一緒に勉強することができます。

クレア:あるホームエデュケーターの娘さんに女優になりたいという人がありました。彼女の父親は数学者で、彼女は12歳でGCSEの数学をとりました。GCSEは普通は16歳で受けます。その子は今、大学の演劇学科に通っています。

会場:日本の大検のようなものとはちがうのでしょうか。

会場むしろ、そのテストの点数を持って大学を受けに行って、各大学はそれぞれに固有の要求レベルを持っていて、受験者を選抜するといったものでしょう。

バリー:そうです。そのテストでいい点数をとるために激しい競争をしています。そして、大人は、子どもたちがその試験でよい成績をあげることにとりつかれています。大人は、自分の子どもに法律を勉強してほしいなどと言います。しかし、例えば、キリアンが庭師になりたいために植物について勉強したいと言っているとしたら、何も私がキリアンに植物を勉強してほしいなどと言う必要はないのです。

岡(父):ちょっと補足します。日本のイメージだと日本の大学入学試験を受けるためには高卒資格が要るわけですね。大検というのは高卒資格がたまたまない人の抜け道として用意されている補助的な制度ですが、イギリスではそうではなくて、そもそもGCSEとかAレベル試験とかいう試験が第一であって、どのレベルの高校を卒業しているかどうかっていうのは大学入学に関して全然関係ないんですね。で、大学がAレベル試験でAを2つ持ってきなさい、それが入学の条件であるというようなことをそれぞれの大学が課しているわけです。

岡:つまり、それまで家でやっていたとか、学校に行っていたとかいうのは関係なく、どの子もその試験を受けさえすれば、上の学校に行く機会はあるということです。

会場:それはすごく難しい試験というのではないんですか。

岡(父):例えば有名大学がAを二つ持ってきなさい、という場合、Aを二つ持っている生徒っていうのはいっぱいいるわけですね。その中から大学が独自の試験をして選ぶ。そういう制度だと思います。

会場:重要なポイントの一つだと思うんですが、将来成功するっていうことが、大人が思っている成功と子どもが思っているものとは別である場合がありますよね。自分の夢を子どもを通じて押しつけるのではなくて、子どもは子どもの生き方が・・・。

バリー:あなたはそういう親ではないと思います。

会場:学校に行かないと友だちが全然いない。すごく友だちと遊びたいからそのために学校に行くというような状況なのですが。

バリー:イギリスで学校に行かない子どもたちに対する第一番の質問は、社会性についてどうしているのか、ということですが、学校というところ自体が、そもそも非常におかしな社会だと思います。まったく同じ年の子どもが、30人40人一つのところにかためられて、一人の大人がその子どもたちの状況を指揮している。これは社会ではなく刑務所です。それはまるで閉じこめられた囚人のような状態であるから、そういう状態で迎えられる将来というのはいったいどういうものになるのでしょうか。

クレア:友だちというのは、ホームスクールをする時の大きな問題ですが、興味のあることやスポーツを通じて友だちを作ることができます。

西村:岡さんとこのお子さんもそうですね。

クレア:同じような状況の人たちとつながっていけば、少しずつ友だちもできるのではないでしょうか。

バリー:私たちがやっているこの小さな方法は、よりよい社会になるための貢献ではないかと思います。子どもたちをある時期、囚人のように学校というところに閉じこめておくと、大人になったときに子どもたちの行動が少しおかしなものになる気がします。

会場:どのようにして他のホームエデュケターを見つけるのですか。

クレア:うちの場合は最初からつながりがありました。

会場:ホームエデュケーションをしている家族はたくさんいたのですか。

クレア:いいえ、そうではありません。今でも多くの人がホームエデュケーションについてほとんど知りません。でも今は、図書館でホームエデュケーションの広告を見るとか、インターネットで情報を得るとかして、同じような状況の人と知り合うことができます。日本では多くの人がパソコンを持っていると思うので、それらを利用できると思いますが。日本にもそういうホームページはありますか。

:ええ、あります。ただ日本の場合はEOのように全国組織にはなってなくて、うちみたいな小さなグループが全国にいくつかあるというような状況です。最初に説明しなかったのですが、私たちは4年前に一年間イギリスにいたのですが、その時にEOを通じてこの家族と知り合いになりました。いくつかの地域のグループに参加することで、いろんな人と知り合えたわけです。ところが京都に帰ってきたら、まったくそういう人たちがいない。それでごしょごしょクラブを3年前に始めたというわけです。

クレア:でも今は京都で仲間ができたようですね。

:今、ごしょごしょクラブは10家族ぐらいの参加なんですけど。その中で常に集まっているのは5家族ぐらいです。今回は、バリーさんたちが世界一周旅行をされている途中ということで(会場ため息)、いい機会なのでお話ししてもらうことにしました。ロンドンから大陸を渡ってシベリア鉄道で中国へ、それから船で日本へ来られました。ほんとに旅行それ自体が教育というような。3ヶ月お休みをとられたそうです。で、来週にはお父さんと真ん中の息子さんが、今度は船でアメリカ大陸に渡られるそうです。えー、それで、なかなか仲間を見つけるというのは難しいですが、アンテナを張っていれば、フリースクールとか、全国に10ヶ所ぐらいはホームスクールと名前を掲げてやっているところもありますので、問い合わせていただいたらどこか近くに見つかるかもしれません。で、きょうは神戸の方からブレーンヒューマニティーというフリースクールの倉谷さんも来ていただいていますが、一緒ですよねフリースクールも、オルタナティブ教育ということでは。あの、何か一言・・・。

倉谷:日本ではまだフリースクールもホームスクーリングもネットワークという形ではきっちり組めてないところがあるんですけど、中の者同士が一緒にやってそれがどこかに伝わっていったらまたどんどん広げていけるんじゃないかと・・・。

会場:バリーさんは勤務しておられるんですか。

:えー、実はバリーさんは学校の先生なんです。移民の子どもたちに英語を教えておられます。不思議かもしれませんが、ご自身は学校の先生なのに自分の子どもは学校に行かせてない、ということになります。

クレア:とてもたくさんのホームエデュケーターの親の一方は教師をしています(会場笑)。ほんとにとても多いのです。

バリー:3人に1人くらいは、片方の親が教師という状況です。元先生というのも含めてですが。なぜなら彼らは学校がよくないというのをよく知っているからです(会場笑)。

クレア:私からあなたにお聞きしたいのですが、子どもさんが学校に行っていないことについて、ご近所や親戚の人と話ができますか。

会場:いいえ・・・。

バリー:困ったことですよねえ・・・。

クレア:学校に行ってても、うまくなじめない場合、だれかに相談することができますか。

会場:日本ではそういう子どもは、学校が悪いんじゃなくて親のせいだと言われます。

バリー:イギリスではホームエデュケーションについての歴史が日本より少し長いですが同じような問題があります。

会場:多人数というクラスの状況も問題だと思いますが。

バリー:私は問題は教師ではなく、学校のシステムにあると思います。今のような状況では教育というものは機能しないし、教師が教えるというのは非常に困難です。私は一度学校の教師を辞めましたが、また教師の仕事に戻りました。今度の仕事はいいからです。今はたくさんの子どもに教える必要はありません。最大で生徒は4人で、移民の子どもたちが対象です。とてもやりやすいです。

岡(父):私塾とかじゃなくて、公共部門、地方自治体に雇われているわけですか。

バリー:そうです。私の賃金は困難のある児童のための特別会計から支払われています。

岡(父):おそらく日本で言うと教育委員会が英語のできない子どもたちにスペシャルエデュケーションを施す、そのための先生であるということですね。

バリー:私が教えているのは、学習が難しいという子ではなくて、英語が母国語でない移民の子どもたち、ということです。

クレア:この中で、京都から来られた方はどのくらいおられますか。

会場:半分ぐらいが挙手

会場:うちは4年生の男の子が家にいて、2年生の男の子は学校に行っていますが、2年生の方も時々行きたくないと言って家にいることがあります。そうなったら家に3人いることになって、負担というか、とてもしんどくなってしまうのですが。

バリー:私たちには「負担」がもう一人いますねえ(会場笑)。

クレア:私たちは毎週3つの違うグループに参加します。その他の日は自分たちでいろんなところに出かけます。家族だけでいるんじゃなくて他の家族や友だちとよく一緒にいます。おっしゃるとおり、家族だけで一日中いて、毎日子どもたちが3人そろっているというのは確かにしんどいと・・・(クレアの膝に座っていたキリアンが不満気な態度でジロリと見たので会場大笑い)。

クレア:ホームデュケーションをする場合、親にとって大切なことは親自身の時間を持つということです。例えば夕方や週末に出かけるとか、パートの仕事をするとか。私も以前、週末に仕事をしていましたが、できるだけそういった自分だけの時間を持つことが大切です。子どもたちが成長するにつれて自分自身でやっていくようになるので、子どもに関わる時間も少しずつ減ってきます。

バリー:私は週に一回、一日子どもと過ごしますが、子どもは一人よりも何人か一緒にいた方がやりやすいです。

会場:日本の学校はどう思われますか。

:えー、実はバリーさんが日本の学校を見たいとおっしゃるので、子どもの在籍している小学校の見学にご一緒しました。校長先生がツアーをして下さって(会場笑)。バリーさんにその感想をお願いしたいのですが。

バリー:あるクラスでは奇妙な音楽の授業をしていました。40人くらいの生徒が同じ楽器、リコーダーで、同じ音を吹いているのがすごくヘンな感じでした。ピーッ、ピーッって。はじめ、火災報知器が鳴っているのかと思いました(会場笑)。

西村:何年生のクラス?

:3年生。

西村:リコーダー習い始めね。

:だから曲じゃなくて音を出す練習。一つの音階をピーッ、ピーッって。

バリー:これは学校教育のおかしな例だと思いますが、音楽を楽しむんじゃなくて、ただひたすら音を出す練習をするというやり方です。校長先生も先生方もとてもよい方なんですが、40人は多すぎる。3人でも十分です(会場笑い)。

クレア:子どもが3人、4人でも、家でみるのは大変でしょうと言われますが、学校は40人に一人の先生です。ほんとうに大変です。

バリー:それに、家なら子どもたち同士で教え合うということもあります。私たちがグループで会うときには、赤ちゃんから十代の子まで、さまざまな年齢の子がいます。

クレア:うちの子どもたちの仲良しの友だちは、いつも同じ年齢の子とは限りません。仲良くなるというのは、同じ興味の対象があるからです。ホームエデュケーションのグループでは、年齢ではなくそれぞれの興味で分かれます。

バリー:大人でもそうですね。私の友だちも、30歳だったり50歳だったりします。でも学校では一つでも年の違った友だちはできにくい。

会場:子どもさんが例えば、今すごくコマに興味があって誰かと一緒にしたいけどコマの好きな友だちを見つけられないという場合もあると思いますが、そういう場合はどうされますか。

バリー:それも人生ですね(会場笑い)。そういう状況もまた学びであるということです。

もちろんホームエデュケーションのグループに行って探すこともできますが、何でもかんでもすぐに解決するというものでもありません。こんなことがありました。ある時、マックスが4歳の時だったと思いますが、彼の友だちが遊びに来ることになっていました。どのくらいで来る?と聞くので、遠いから2時間くらいと言ったのですが、マックスはまだかなー、まだかなーって待っていました。3分後、どのくらいたった?あとどのくらい?と聞くんです。それで私は「だいたい」2時間、と答えました(笑)。そうやって友だちが来るのを窓の外で待ちながら時間について多くのことを学ぶのです。

バリー:よく人に聞かれるのは、数学とか科学とか国語とか、そういう教科についてどうしているのかということですが、私たちは子どもたちは日常の暮らしや人生の中からそういうことを学び取っているということに気づきます。教科書の何ページ開いて、という形ではなく。例えばマックスが9歳の時ですが、ロンドンの地下鉄でのことです。私たちはキリアンと一緒に下りのエスカレーターに乗り、マックスは一人で別のに乗りました。そしてエスカレーターで他のみんなが降りた時にマックスは、「僕は2倍の速さで降りたよ」と言うのです。

マックス:時速50マイル!(笑)

バリー:私はどうしてわかったのと聞いたところ、エスカレーターが半分降りていくまで待っていて、それから自分が走って降りた。でも自分の方が早かったから2倍速いと思ったと。彼は、ベルも、算数も、先生も、学校もなしでこういうことに気がついたのです。ごくふつうの日常の中でです。

会場:ホームスクールやってるお子さんと、普通に学校に行ってるお子さんと、何か違いのようなものは感じられますか。

クレア:それについてはたくさん語られたり、書かれたりしたものがあるのですが、学校に行かない子どもたちは、自尊心があり、大人とよい関係を持てるなど、社会性もあると言われています。自分で好きなことを見つけてやっていくので集中力もあります。例えば、マックスくらいの年の子で、本を読むのが嫌いという子はたくさんいます。子どもたちが小さい頃のことですが、子どもに本を読んでやっていたら友だちが寄って来ました。その中で一番先に聞くのに飽きたのは、学校に行っている子どもでした。

会場:ホームエデュケーションを選んでよかったと思われますか。

バリー:ええ、そう思います。でも、それは自分たちの子どもを他の子どもよりよくしようと思ってやっているわけではありません。私たちは私たちの子どもを愛していますが、他の親御さんにとってもそれは同じです。すべての子どもたちはそれぞれに特別で大切な存在なのです。学校に行っているとか行っていないとかに関係なく。

クレア:私たちは今幸せですが、子どもたちが成長するにつれて必要なものは変わってきます。成長段階は一つの旅のようなもので、親もその中で多くを学ぶのです。イギリスでホームエデュケーションについて聞かれたときはいつもこう答えます。私もできる。だからあなたもやれますよ、と。実際、こんなふうにやっている家族の数は増え続けているのです。日本での問題は、学校になじめない、学校に満足していないということについて話をする場や機会が少ないということだと思います。これから、かおるのように、グループを始めるなどして、一緒に集まって話ができる仲間を作れるのではないかと思います。

会場:子どもたちに、今の夢や日常で楽しいことは何か聞きたいのですが。

バリー:マックス、何か夢とか、なりたいものは?

マックス:(かなり考えてから)世界で一番強いサッカー選手。

クレア:ベッカムみたいな?(笑)

西村:今楽しいことは?

マックス:んー、サッカー(会場笑)。

西村:キリアンは?

キリアン:うーんと・・・庭師。

バリー:アリスは?

アリス:好きなことはいっぱい・・・。切手集めるのとか。旅行とか。船で働いてみたい。ゴルフも好き。それから、犬のお店。絵を描かいたりお話を書いたりするのも好き。

:どうもありがとう。それではそろそろ時間になりましたので、このあたりで意見交換は終了とさせていただきたいと思います。バリーさん一家に拍手をお願いします。どうもありがとうございました。

バリー:ドウモアリガト(会場笑・拍手)。

:えー、長時間どうもありがとうございました。おもしろいお話をたくさん聞くことができました。イギリスと日本では、学校に行かない子どもに対しての環境自体が非常に違いますのでわかりにくい部分もあったかもしれませんが、きょうお渡しした資料と、私も含めて20人の親が書いた『笑う不登校』という本の中にイギリスの話も少し書いていますので参考にしていただければと思います。今回いい機会だと思ってこういう集まりを企画しました。ホームスクーリングという言葉自体まだなじみが薄いので参加者もそんなに多くはありませんが、学校以外の一つの方法としてこういうものがあることを知っていただければと思います。今でも相変わらず学校だけしかないと思ってしんどい思いをしている子どもや親御さんがたくさんおられて、自殺に追い込まれる子どもも後をたちません。ぜひいろんな方法があって、世界は広いし人生は長い、いろいろあるというふうに、いろんな生き方が広がっていけばいいなと思います。きょうはどうもありがとうございました(拍手)。

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