家庭で育つ子供たち──日本のホームスクーリング事情あれこれ──(1)
2003年6月28日 法然院にて
お話: 久貝登美子さん(HSNひめじ)
岡:こんにちは。ごしょごしょクラブの岡です。今日は雨の中どうもご苦労様です。ふつう不登校と呼ばれている子どもたちは、一般に否定的な目で見られることが多いのですが、今日は日本で10年も前からホームスクーリング(以下HS)という視点で、積極的に家庭で子どもを育ててこられた姫路の久貝さんをお迎えして、10年にわたる活動についてお話しをうかがいたいと思います。前半を久貝さんにお話ししていただき、そのあと休憩をはさんで自由に意見交換などしていきたいと思います。それでは久貝さんお願いします(拍手)。
久貝:姫路から来ました久貝と申します。きょうはこんな素敵な会場にお呼びいただいてとてもうれしいです。あいにく雨ですけれども、お庭の風情がとってもよくって、雨もまたいいもんだなと思っています。きょうは姫路から私の連れ合いと、姫路の東側の加古川というところに住んでる、私たちのホームスクーリングネットひめじ(以下HSNひめじ)のメンバー、生田のぶこさんとそれからさっちゃん(拍手)と一緒にはるばるやってまいりました。どうぞよろしくお願いします。
ご紹介いただいようにHSNひめじを呼びかけたのはちょうど10年前、93年になります。その頃から今までHSNひめじっていうことで活動してきたことについてご紹介したいと思います。その前に、私がなぜHSに出会ったか、こういうことを始めたかっていうことを少しお話ししたいと思います。お手元の資料に新聞のコピーが2枚とニューズウィーク日本版がHSの特集をした記事のコピー、それと私たちが出してるリーフレットを入れてます。
<HSとの出会い>
今から15年ぐらい前になりますが、娘が2歳半くらいで仕事したいなという思いもあった時、学童保育の仕事に誘われました。それをやるにあたって子どものことももういっぺん勉強し直さなきゃいけないし、どういうふうにやっていこうかなということで教育観関係の本をいろいろさがして読んだりしていたんですね。
ちょうどそのころ、高砂に地球学校っていうフリースクールがあるんですけれども、そことも出会って。今まで私が経験してきたような学校のシステムではない学校のあり方とか、シュタイナー教育というものも知りまして、本屋さんで教育書コーナーをぼんやりと見ていたんですね。そうしたら、たまたまそこの本棚にジョン・ホルトの『なんで学校へやるの』があって、「なんで学校にやるの」っていうその言葉にすごく惹かれましてね、あ、なんでやるんだろうと思ってその本を読んだんです。するともうすっかり目から鱗が落ちるというような状態で、あ、そうか、そうや、自分でやればいいんやって。
それからホルトにすごく興味を持ちまして、ホルトの本は日本ではこの他に『学習の戦略』、『教室の戦略』、もうあと2冊ほど出てるのかな。とりあえず私が読んだのはその3冊なんですけれども、それを読んですっかり教育観が変わってしまいました。ホルト以外に例えばイギリスのサマーヒルっていう、もうずいぶん歴史の長いフリースクールですけれども、そこを作ったニールという人の本を読んだりしました。
子どもの学びっていうのは、それまではなんかやっぱりまだ教師が教える、学校で学ぶ、そういうのが学びだというふうに刷り込まれてたのが、あ、そうじゃないんだ、子どもっていうのはもともと学ぶ力を持ってるし、自分で学んでいけるものなんだ、大人っていうのはそういう子どもの学びをサポートしていけばいい、環境を作っていけばいいんだ、と。けっして大人がすごく知識が豊富で、大人が持ってるものを子どもに与えて子どもをいい方向に教え導かなければいけないというものじゃない。子どもの中に学びに対する欲求もあるし。いわゆる学校にカリキュラムというものがありますけれども、そのカリキュラムに沿って子どもを教えるっていうことではなくて、子どもが自分で持ってる興味に従って自分で学んでいく、そういう力が子どもにはあって、そういう学びこそ、ほんとに身に付いていく学びなんだということに気がつきました。
つらつらと自分自身を振り返ってみても、学校で学んだことっていうのはほとんど覚えていない、というか、結局私自身が興味があったことしか自分の中には残ってない。受験勉強なんていうのも一応しましたけどもまず頭に残っていません。まして今、50年生きて、ほんと学校で何やったんだろうって。結局生活の中から学んで自分に必要なことは自分で学んでいけるし、必要なことを学んだときにはそれはしっかり自分の身についていきますね。学びっていうのは本来そういうものだと思うんです。もともといろんな学校現場での問題が起こってましたから、学校教育そのものにはとっても疑問を持ってたんですけれども、学校じゃない学びっていうのがあるんだっていうことをホルトの本を通して知ったわけです。フリースクールもすごく魅力的だと思ったんだけれども、フリースクールっていうのは大変ですね。作るのは大変だし、通わせたいと思っても近くにいい場所がないとか、お金が非常にかかるとか、いろんな困難な条件があるし。自分の子どもに、そういう子ども自身が自分の興味に従って自分のペースで学んでいけるような学びのスタイルを提供したい、そういう環境で子どもを育てたいと思った時に、何もフリースクールに通わせなくても自分でやっちゃえばいいんだ、それが一番手軽な方法で、親も納得できるし子どもも納得できる。私にとってはそれが一番いい方法だと思いました。
<まずは共同保育から>
それで子どもをHSで育てたいなという気持ちがとても強かったんですけれども学童保育の仕事があってしばらく保育園に預けていて、その仕事をやめて、子どもが幼稚園の年齢になった時、子どもに幼稚園行きたい?って聞いたら別に行きたくないって言うので、じゃもうその時からHSだって、私は意識化してやって来ました。それが90年に入る前ですか。その時に、今のひめじのネットの前身みたいなみたいな形になるんですけれども、共同保育のグループを呼びかけて、赤ちゃんからうちの子どもが一番大きくて5歳、その他3歳、4歳ぐらいの子どもがいる方たち5家族ぐらいが集まって週一回、公園に集まって遊ぼうねっていう形で共同保育のグループを始めました。
そのグループを軸にして、HSという考え方を、実際それをやるかやらないかは別にして、こういう考え方があるんだよってことを他の人にも知ってもらいたくて読書会を始めました。『学習の戦略』を一緒に読もうと、共同保育の人たちや知り合いに呼びかけました。それがネットを始める前の準備というのか助走というのか、そういうものでした。
<モモちゃん小学校へ入学する>
共同保育でけっこう楽しく過ごしていたんですが、子どもが就学年齢になって、私の子どもはモモって言いますけれども、学校に行きたいって言い出したんですね。私としてはその時に学校にあまり行って欲しくなかったんですけれども、でも学びを選択するのは子どもなんだっていうことを実行しなきゃいけないと思っていましたので、子どもが行きたいっていうなら、まあじゃあ行くことをサポートしようということで、とりあえず就学手続きを取って子どもは入学しました。でも学校とのつきあい方っていうのを私としてはHS的にやりたいなと思ってまして、学校に行く行かないっていうのはとにかく子どもが決める。だから行きたい気分の時は行けばいいし、行きたくない時はどんな理由があっても理由を尋ねないで、休むって言ったら、はいどうぞって子どもに委ねました。
なぜ学校に行きたいかっていうのは、詳しくその事情は聞かなかったんですが、子どもを取り巻く状況というのを考えてみたら、周りの子どもたちはみんな学校に行ってますね。子どもっていうのは周りをすごくよく見てるから、他の子たちがどうしてるとか、大人たちがどうしてるとか、そういうことからどんどん自分の未来像っていうのを作り上げていくと思うんです。なんか学校に行けばいいことがあるかもしれない。お家にずっといるのはとにかく退屈だからってことで、学校に行くことにしたんだと思います。
学校に行き始めて、はじめはすごく緊張してましたね。なんせ私たちがそのころ住んでた所の校区っていうのは、全校生徒が1700人くらい、一クラスが40人以上あって、学年だけでも5クラス、6クラスくらいある、かなり大きな学校だったんですね。それまで保育園の時期は、少し集団というのを経験しましたけれどもまあ小規模なものでしたし、幼稚園の経験もなく、いきなり小学校に入ったんです。私としては、もうすぐ学校なんか行くのいやだって言い出すだろうということを半ば期待してたんですけれども、なかなかそうじゃなくって。はじめの頃は一日おきに行くんですね。隔日登校っていう。どうして一日おきだったのかはじめはよくわからなかったんですが、二週間目くらいから給食の献立にかなり関連してるってことがわかってきたんです。うちの娘はパンが好きだったのでパン給食の日は学校に行って、ごはん給食の時は行かないという、どうもはじめはそういう選択で行く日と行かない日を決めてたようなんです。
<親のHS的学校との付き合い方>
そんな感じで学校に登校してて、まあ休む日が当然多いわけですから、3回目ぐらいに休んだ時に担任が我が家にやって来て、ああもうこの子は登校拒否になるんじゃないかって心配したんだと思うんですね。で、どうしましょうっておっしゃるんで、別にどうする気もないんで子どもに任せてますって答えました。その後何回か担任とやりとりはあったんですけれども、その都度、子どもが行くのをいやだったら家でやっていきますからっていうことを伝えていきました。
その時に感じたのは、学校っていうのは、こちら側の態度をはっきり出せば、あんまりうるさくは言ってこないものなんだな、と。学校には学校の立場があり、家庭には家庭の立場がある。本来子どもっていうのは家庭がまず責任を持ってやっていくべき権利があるわけなんですね。こちらがきっちりと責任を持ってやっていきますってことを伝えれば、学校側もそれ以上は深く言ってこられない。だから、こちら側が大きく構えるってことがすごく大事なことだなと思いました。どうしましょう、この子学校行かなくて困ってるんです、っていうようなことを学校側に言えば、学校側はそれはもう学校の責任としてなんとか来させるようにしましょうっていうふうに思いますから。それはたぶん学校側の責任としては当然のことだと思いますね。だから、そういう場合にはかなり学校側のアプローチがしつこくなってきますけれども、やっぱりその場合に、この子の学びをどうするのかっていうことをまず親がきっちりと持つっていうことが、とても大事なことだと思います。ただ、私の場合は初めからHSってことにとても思いが強くあったので、ちょっと違うかもしれないんですけれども、子どもが学校に合わないなっていう状況になった時に、やっぱりこの子は学校じゃなくてうちでやってくんだっていう、そういう姿勢をまず親がはっきりと持てるかどうかっていうことはとても大きなポイントだと思います。
<モモちゃんの「家でやってく」宣言まで>
娘は、はじめの一ヶ月は隔日登校で、ふつう5月に入るともう学校いやだって言い出す子が一般的には増えるみたいなんで、私もそうなるかなって思ってたんですけれども、娘はどういうわけか5月に入ったら、がぜん学校が気に入ってしまって喜んで行き始めたんですね。
そのあたりのことつらつら思うに、娘は娘なりのやり方で学校っていうものを理解していって、どういうふうに学校とつきあっていったらいいのかっていうのをわかっていったんだと思うんです。とにかくそれまでそういう大きな集団の経験はなかったし、ほんとに小さな6歳の子どもがそういう所にぽーんと入っていくっていうのはすごいストレスだったと思うし勇気のいることだったと思うんですけれども、でもやっぱり自分が求めたものだから、望んだものだったから、ストレスだとか、いろんな葛藤みたいなものを乗り越えていったんだろうなと思います。だから5月以降はとっても喜んで学校に通ってました。
ただ学校で、こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけないっていうことがいろいろあるんだっていうことを理解していくんだけれども、私とモモのスタンスとしては、とにかくやりたいことはやる、やりたくないことはやらないっていうのをそのまま続けてましたので、学校のいろんな課題の中で当然やりたくないことって出てきますよね。モモの場合は体動かすのがあまり好きじゃなかった。この小学校では、授業が始まる前に15分ぐらい全校生徒が集まって、一斉に体操する、業前体育というのがあったんです。縄跳びだったりとか、いろいろするんですけれども。それがきらいだったみたいですね。だからそれはやらないって見学するとか。
それから水泳が始まった時にもちょっといろいろ私はカチンとくることがあったんですけれども、水に入るのが嫌いな子だったから当然水泳はやりたくなかったんですね。で、それは見学するとか、いろいろやりたくないことはパスっていうことをやってたら、担任に「やりたくなくてもガマンしてやらなあかんで」って言われたらしいんですね(笑)。それを聞くとモモは、あ、そうか、学校に行ってる間はやりたくないことはガマンしてやらなきゃいけないんだっていうことを理解したみたいなんですね。それだったらやりたくないことがある時には学校は休むっきゃないなっていうことを彼女は思いついたわけです。それでやりたくないことがある時には学校を休む、でもやりたいことがある時は行く、そういうことを繰り返して、結局小学校の3年生の2学期が始まる時に私はお家でやってくわ、ってことを宣言したんですが、それまではずっと彼女はそういう形で学校とはつきあってました。
<学校教育の本質>
この点について、みなさんいろいろ意見をお持ちじゃないかとは思うんですけれども、基本的に子どもの学び、特に小ちゃい時の学びっていうのは、やりたいことをやる時に本当にその子のいろんな能力が発揮できるし、学びそのものがその子の中に入っていく。我慢しながらやったことっていうのは、子どもにとって苦痛でしかないわけだし。
例えばさっき言った水泳の授業ですけれども。水泳も6月の後半ぐらいから学校で始まるんです。ちょうどモモの入った年の6月っていうのは、昼間半袖でいるのも寒かったんです。でも子どもたちはプールに入らされるわけですね。その学校はたまたま6年生で、2キロだっけ、泳げるようにしなきゃいけないっていう、もう遠大な目標を持ってる学校で、すごく水泳指導がきつい所だったんです。私が思うに、あんなちっちゃな子どもを、大人なら絶対泳ぎたくないわと思うような時に水に入らせるっていうのは、半ば拷問じゃないかと思うんですね。もちろん子どもひとりひとり、水が嫌いな子もいれば好きな子もいるわけですけれども、うちのモモなんていうのはすごく嫌いだったわけです。そういう時に入らされちゃう、そのことについて、とてもこう腹立たしく思いまして、しかもその日はすごく寒い日だったので、校長に電話をかけて、どうしてこんな寒い日に子どもをプールに入れるんだって聞いたんです。そしたら校長が言うには「これは教育ですから」って(笑)。「家庭で遊び、行楽、レジャーで行くんだったら、それはかまわないですけれども、これは教育だから我慢することを覚えさせる必要があります」って言うんですね。それで、お宅の娘さんは風邪でも引きましたかって聞くので、ちょうどその時は風邪引いてなかったものだから(笑)、私もちょっと経験不足だったんで、その時、「ええ!引きました!」って言えばよかったんだけど(笑)、正直に「いえ、まだ引いてませんけど」って言っちゃって(笑)、ちょっと分が悪かったなって思ったんですけども。
学びっていうのは学校教育の本質だと思いますが、楽しいもんじゃない、我慢してやるもんだっていうことを子どもの感性の中に覚え込ませる。とにかく我慢することが大事なんだっていうことを子どもの体に刷り込ませていく。モモの学校に行ってる間の学校との関係の中で私が再確認したこともやっぱりそういうことでした。自分自身も学校を通過して大人になってきたわけですけれども、やっぱり我慢しなきゃいけないんだっていうことは、どこかすごく強く刷り込まれてるっていうことをいまだに感じます。モモは喜んで学校に行ってた時期があったんですけれども、行ってる時はけっこう楽しんで行って、行かない時は行かないで、お家で適当にいろんなことやってました。
<HSNひめじの立ち上げ>
ネットをいつ呼びかけたかっていうことなんですけれども、ちょうどモモが2年生の時だったかな。お手元の新聞のコピーで93年の5月12日付の産経新聞の姫路版にかなり大きく載せてもらったんですね。たぶん日本のHSってことで新聞で紹介された記事としてはこれが一番早いんじゃないかなと思います。
先ほどお話ししたジョン・ホルトの読書会をやってた時に、そこに参加なさってたお母さんの中で、子どもさんがその当時学校へ行かなくて、いわゆる不登校ってことで悩んでらした方がいて、一緒に読書会を進めていくうちに、あ、そうか、お家でやっていっていいんだね、子どもの学びってのは教科書じゃなくてもやってけるんだね、ゲームの攻略本読んでたりマンガの本読んでたり、それでちゃんと字を覚えていってるし、ああ、こういう学びでいいんだね、っていうことに気がついた、って方がいらしたんですね。でも、親の方はこれでいいんだなと思えていけるけれども、子ども自身が学校でとても傷ついていて、ぼくは学校に行ってないからアホなんやって思いこんでる。どうしたらいいでしょうっておっしゃったんですね。その言葉を聞いて、そうか、学校じゃなくてもやっていけるんだ、お家でやっていっていいんだっていうことを、子ども自身が知らなきゃいけないな、っていうふうに思ったんです。
子ども自身が、ただ親からだけじゃなくて、そういうことを知る方法っていうのはないだろうかっていうことを考えた時に、HSっていうものを何か形のあるものにして提示していかなければならないなって思いました。それで、私ができることでどういう方法があるかなって考えまして。うちの娘はその時まだ学校に行ってたので、我が家でHSって言い切るにはまだちょっと状況として中途半端で実態は全然なかったんですけれども、とにかくもうほとんどでっち上げのような形でHSNひめじっていうのを立ち上げました。ホームスクーラーっていう家庭は、ほとんどいなかったんですけれども、子どもさんが学校に行ってない方で、まあお家でやっていってもいいかって思ってる方とか、フリースクールの関係の方とか、教育に関係してる人たちに声をかけて、とにかく集まって、月一回ぐらい例会を持って、HSのことや今の教育のことについていろいろ考えて行きましょうっていう集まりを持ちました。それがHSNひめじの一番最初の形です。
「バオバブ―HSへの道―」っていう通信を作りました。産経の記事はその通信の紹介だったんですけれども、こういう記事を通して、少し興味を持ってる人と連絡が取れたりしました。もう一つよかったのは、こういう記事が出ることで近所の人たちが、ああ、久貝さんちはなんかこんなことやってるのねっていう目でみてくれる人も出てきた、ということもありましたね。みなさん、たぶんご近所の方たちがなかなか理解してくれないっていう経験をお持ちかと思うんですけれども、私の場合は、もうとにかく言っていこうと、おおっぴらにしていくってことが一つの道を開いていくことになるだろうと、可能な範囲でマスコミに取り上げてもらおうということでやって来ました。93年の6月が発足っていうことになっていますが、そういう形で集まりを少しずつもっていって、はじめは口コミが多かったんですが、何家族かとの出会いがあって少しずつ広がっていきました。
<まず親が元気になって>
当初は子どもたちがとても傷ついていたという状態で、お母さんたちもとっても悩んでらして、HSといっても全然イメージわかないし、学校との関係もなかなか整理できない、いろんな悩みを持っていらっしゃいました。だから、はじめの集まりは、そういう日頃の悩みとか思いとか、そういうのをまず親同士が出し合って、どうしていったらいいんだろうとか、学校教育はどんなふうにおかしいとか、子どもの状態が今どうだとか、そんなことを話し合うっていう集まりが続いてました。その時に子どもたちも一緒に来るようになって、親たちが話し合ってるそばに子どもたちがいて、そういう中で子どもたちもお互いに少しずつ距離が近くなって、だんだん元気になって交流ができるようになっていきました。そういう状況になった時に、遊ぼう会みたいな、公園で遊びましょうかとか、どっかにお出かけしましょうかとかいう呼びかけを少しずつするようになっていきました。だからはじめはほんとに親だけ、親たちが思いを交換しあう、そういう場をつなげていくことから始まって、そこに徐々に子どもたちも仲良くなって活動できるっていう状態になっていきました。
これまでやってきた活動を、そちらのアルバムにまとめましたのでよかったらまたあとで見て頂きたいと思います。ひめじのちょっと問題としては、女の子が多かったんですね。男の子の参加が少なかったっていうか、やっぱり当時の状況として女の子の方が元気だったっていうか。男の子の問題っていうのは、かなりいろいろと今の社会が抱えるジェンダーの問題とか、そういうふうなことが全部からまって、男の子の方が抑圧が大きいし、学校教育でのストレスも多く受けるっていう状況があると思うんですが、なかなか出てきにくい男の子たちが多かったですね。それと年齢が高くなってくると、男の子はお母さんとなんか一緒に行かないよ、みたいな(笑)。そういうのもあって、男の子と出会うっていうのが少なくて、それがちょっと残念でした。
はじめ子どもたちがほんとにすごく傷ついていて、中には人目がとても気になるから出られないって子もいましたし、お母さんの車に乗って出かけても、知ってる人が通りかかったらパッとシートの陰に隠れてしまう、そういうような子もいましたし、ずっとカウンセリングに通ってるって方もいらっしゃいました。ほんとにみなさん、しんどい状況を抱えてらした。だけれども、親の方がいろんな読書会やミーティングを重ねていくうちに、それとお互いの思いを交換しあっていくうちに、親が、まず親が元気になっていったんですね。自分たちでやっていけるねっていう自信を親の方が持っていかれて、同時に子どもたちがすごく元気になってきて、とても明るくなっていって、子どもたちの活動も活発になっていって。お互いにそういうことを確認しあいながらネットワークを作っていくってことで、あ、これでいいんだな、っていう確信が少しずつ親の方に持てていったし、子どもの方もお友だちができる。で、これでいいんだな、っていう気持ちになっていったんだと思います。
さっきの産経の記事の隣にお茶の席の写真があるんですけれども、これが94年12月に出た新聞で、これもたまたま知り合いの記者さんにこんなことやってるのって言って、通信を読んだ方が興味を持って取材して下さったんですね。この記事で、そのあとずっと続くメンバーとの出会いがありました。やっぱりマスコミの力っていうのはけっこうあって、そういうところはうまく利用したらいいと思います。
<NHK「学校に行かない子どもたち」の取材>
この記事が出たあと96年の5月にNHKの衛星放送で、「学校に行かない子どもたち」っていう特集番組がありました。子どもの日の特集ということで2日連続だったかな。その取材を受けることになったんです。この番組を作られたディレクターが、これ2本あったんですけれども、前半はHSを特集して、もう一つは、新潟かどこかの不登校の子どもたちのスペースを取材したような、そんな番組でした。HSっていうことで映像で取り上げたのはたぶんまたこれが初めてだろうということになるんですけれども。このディレクターが、朝日新聞のデータベースを検索しててHSの記事を見つけてうちに連絡を取ってこられたんです。はじめ連絡いただいた時には、まだネットも始まって期間がたっていなかったし、子どもたちの状態とか、お母さんたちの意識とか、いろいろ考えて、映像に出ることはすごく抵抗があったので、その時点での取材はお断りしたんですね。でもそのディレクターが私たちの通信を読んでみたいって言って下さって、1から2年分、全部コピーしてお送りしたんです。それを読んだ上で、また改めて番組の取材の製作をずっと続けてらして、最後の段階で、「ひめじ」でやってるような活動をどうしても番組の中で紹介したいということで、取材の申し込みが再度ありまして、その時にはお受けしました。番組の中では、ちょこっと出ただけだったんですけどね。取材には2日間みえて、かなりの時間フィルムは回されたんですけども、番組の中では3分間だけだったので、えっ、これだけ?っていう感じでした(笑)。
その番組は、かなり画期的でいい番組だったと思います。内容をご紹介すると、横浜の家族と徳之島の家族、その二つを軸にして、あとHSのサポートをしてる「風の学園」と、アメリカでホームベイスドエデュケーションプログラムをやってる「クロンララ」に登録してる人たち、それから私たちのひめじが紹介されました。その番組は、HSっていうのはこういうふうにやるんだとか、こうあるべきだとかいうことじゃなくて、いろんなやり方がありますよ、いろんな取り組みがありますよっていうことを紹介したいということで作られたので、わりと並列的に紹介していくという形でした。ただ、竹下さんのファミリーが、クロンララのプログラムを取っていたことや、クロンララの校長のパット・モンゴメリーさんのコメントが入ったりで、クロンララの印象がすごく強くなるような結果になってしまったんですけれども、その中で提起されるHSについては、かなりいろんな視点を割いてるな、と私は思いました。その中で、親がサポートグループを作って、親同士、手をつないでやってる形のものは当時ひめじだけだったので、そのディレクターもHSの将来像として、こういう形がいいとぼくは思いますと言って下さったのはとてもうれしかったです。
<世界に広がるHS家族との交流>
その中の竹下ファミリーとの交流は、ディレクターが仲立ちしてくれる形でできまして、97年の5月に徳之島まで行きました。4、5家族で総勢13人。行きはフェリーで、なんと37時間かかりました。すごい日本て広いですよね(笑)。竹下さんちの子どもたち、二人いるんですけれども、すぐにうち解けてとても楽しい時間を過ごせました。徳之島まで行くなんていうことは、たぶんHSやってなかったらなかっただろうなって思いました。いろんな家族とつながって、ほんとにHSっていうのはとっても広い、もっと言えば世界中とつながれるんじゃないかと思います。
世界中とつながれるっていうことで言えば、ノースカロライナ州のホームスクーラーファミリーとのスクラップブックエクスチェンジっていうのをやりました。これは向こうのファミリーが送ってくれたスクラップブックです。今、みなさん、海外の方とメール交換なさってる方も多いと思いますが、スクラップブックエクスチェンジっていうのは、例えばお引っ越しをするお友達に写真とか寄せ書きとかを一冊の本にして、それを思い出にプレゼントするとかいう風なことで、向こうの方はよくやるそうなんですけどね。その発想で、自分たちの住んでる所とか家族とか文化とか、そういうものをこうやって写真を貼ってコメント載せて交換しようってことで。
こういう形で、今はほんとにもうインターネット時代で世界中の人たちとつながりが持っていけるということで、HSっていうのはやり方次第でとても可能性が豊かに広がっていくものだと思います。
<教育費の行政支援を求める活動>
97年にはもう一つ、京都で公費助成ネットワーク、公助ネットの立ち上げがありました。オルタナティブ教育を求める動きっていうのは各地でいろいろありますが、97年当時、フリースクールの人たちが中心になって行われました。フリースクールの経営はとても大変で、公立の学校に行ってる子どもたちには教育費の、学校に対する助成があるけれどもフリースクールには全くない、それはとても不公平なんじゃないか、学校を利用しない子どもたちにも教育費の助成を求めようと。その集まりに私も一応参加しました。フリースクールが中心だったんですけれども、私としてはホームスクーラーに公費の助成を望んだんじゃないんです。フリースクールも、いえば学校なわけですね。だからフリースクール関係者に、子どもをどこかに通わせるだけが子どもの教育、学びの形じゃない、家庭でやっていくってこともあるんだ、そういうことをやりたい人間もいるんだってことを知ってもらいたくて参加しました。
その公助ネットの立ち上げが、直接的な私自身の動機にはなったんですけれども、ホームスクーラーとして、何らかの形で行政的な支援が得られる方法はないだろうか、そうすることがHSの認知にもつながるし、そういう要求活動をしていくことは親たちの自信にもなっていくだろうと考えました。
その頃は土曜日が月二回お休みになるというのが始まりましたよね。今はもう全部お休みになってますけど。たぶんその対策だったと思うんですが、姫路では、土曜・日曜・祝日には、植物園だとか動物園だとか、そういった所で子どもがパスを見せればタダで入れる「どんぐりカード」っていうのが出てたんです。でもホームスクーラーにとっては、お休みの日にそういう所は混んでるから、あまり利用したくないでしょ。利用するなら平日がいいですよね。すいてるしね。それで、学校外での学びを保証するっていうことを要望書として出したんです。具体的にはどんぐりカードの平日の使用を認めて下さいっていう形で持っていきました。何回か、たらい回しにされたりしたんですけど(笑)、市会議員で協力的な方がいて、その方が議会で取り上げて下さって、ホームスクーラーっていう名目ではなかったですけれども、結果、使用が認められて私たちの要望が市に受け入れられたっていうことがありました。これはすごく画期的なことだと私は思ったんですけれども、どんぐりカードができてから、子どもたちぜんぜんそのカード使わない(笑)。何回か使ったかなあ。一度行ったら飽きちゃうような施設が多いってことかな(笑)。でもまあ権利としてそういうことができるってことはいいことだと思うので、これはとてもよかったと思います。教育委員会に行って何回か交渉するんですけれども、市役所の学校教育課のお役人たちと要求を出して話すんですね。そういう活動自体が、お母さんに自信を与えたんじゃないかなと思うんですね。学校行ってないってことで、行政や学校側に対して何か負い目を持っていらっしゃるって感じが強かったんですけれども、でもその場でお役人たちに行ってないってことを、家庭で学んでいくんだってことを堂々と言って。そのお役人たちは、それはだめだとか一切言わなかったんですね。私たちの要求として受け入れて聞いてくれました。だからそういう場面を経験したことはとてもよかったと思います。
<日本のHS界が動き始める1993年>
93年、これはけっこう日本のHS界にとって画期的な年だったと思います。ひめじが発足して、ちょうどその頃、九州でもHSとして活動なさる方がいらして、東京でもホームスクールネットワークの呼びかけを始められた方がいて、東京シューレでもホームシューレを始めたのがその頃ですね。
94年には東京シューレ主催でホームエデュケーションのシンポジウムが行われています。羽仁未央さんとか、クロンララのパット・モンゴメリーさんとか、イギリスのエデュケーションアザワイズからのメンバーの方とかがお見えになったようです。だから93年、94年、そのあたりから、HSっていう動きが、不登校ってことじゃなくて、学校を通過しない学びっていう、そういう教育のスタイルとして動きが始まったと言えると思います。それに遡って、クロンララのHSが日本に紹介されたのが85年くらいからだと思うんですが、その頃からクロンララに登録してそのプログラムでHSやってるっていう人はたくさんいらっしゃったみたいです。
<日本のHS事情あれこれ>
今、日本では、ごしょごしょクラブや私たちのように、親たちが主体になって草の根ネットワークっていう形で活動してるグループと、クロンララやHSをサポートするプログラムを持ったフリースクールとつながってやってる所などあるみたいです。日本HS支援協会というのが4年くらい前にできまして、そこは、アットマークスクールっていうクロンララじゃない、また違う形のアメリカのHSのプログラムを持ってる学校と提携して、そちらの卒業証書が取れる形でのHSサポートをやってます。サポートっていうかスクールですから通信教育ですね。それから東京シューレがやってるホームシューレ、それからチア日本ていうクリスチャンのHSサポート協会が今とても活発な動きをしていらっしゃるみたいです。メンバーが1500くらいですか。それともっと古くからはモーア・ジャパンていう、これもクリスチャンの団体なんですけれども、もう20年以上前からHSを勧めているグループがあります。あまり対外的に情宣活動はなさってないんですけれども。
ですから、一応宗教的な基盤を持ったグループと、私たちのような全くフリーな家庭が基盤になったような草の根のグループ、それから学校がサポートするHSのプログラムを持ってるような所に登録してやっていくという形があります。それと、外国人と日本人の国際結婚のカップルで、HSをやってる家庭がずいぶん増えていて、そういう家庭のつながりも、ホームページなどを通して活発にやられてるようです。だから実数としてどれくらいホームスクーラーがいるのかということはちょっとわからないんですけれども、徐々に広がりを見せてるってことは確かだと思います。
<HSNひめじ参加者のアンケートから>
当初の子どもたちは年がかなり大きくなりまして、もう19、20、うちの娘が18なんですけれども、それくらいの年になりまして、その次の世代とのつながりがなかなかスムーズにいかないってところがあったりして、ひめじのネットワークの活動は97年、98年頃が一番活発だったかなって。紹介した写真はその頃のものがほとんどです。その当時の子どもたちが今どうしてるのか、このあいだアンケートを取って、その結果を今まで出してきた通信の最終号に載せました。
HSをやって、困ったことで例えば、制服デートができなかったとか(笑)。おもしろいのが、うちの娘もそうだったんですけどね、制服に憧れてるんですよ。逆に(笑)。他のホームスクーラーの女の子も制服が着たいって、コスプレで制服を着たりしてる子がいておかしいんですけれども。管理教育の中の制服ってイメージとしては捉えないみたいですね。一つのファッションとして着たかったみたい。問題としてはやっぱり数が少ないから、日常的に、あそぼーみたいな感じでふいに訪ねて行けるような距離にお友だちがなかなかいないとか、そういうことがちょっと困ったことであったぐらいで、あとは自分のペースでやれたからよかったみたいなことが多いですね。
親の方も満足感があるというか、私自身もそうなんですけれども、とても楽しかったです。特にやっぱりネットワークってことで、グループを、閉鎖的なグループじゃないですけれども、いろんな方と交流しながら一緒にいろんなことやってこられたってことはとっても楽しかったです。子どもの興味につきあっていくことは自分自身すごくワクワクするような体験でした。私の興味があることに必ずしも子どもが興味を持ってるわけじゃなくて、お互いの興味が一致するってことはあんまりないんですね。私たち大人が学ばせたいと思うことと、子どものやりたいことがフィットするってことはあまりなくて、こちらが子どもにこんなことやって欲しいな、やらせたいなと思うようなことを持ち出しても、たいていの場合、子どもはすっと逃げていっちゃう。そういう経験を繰り返して、ああ、やっぱり子どものニーズに寄り添っていくのが一番いい方法なんだなっていうことを体験的に親の方も学んでいくんですけれども。そういうことがとても楽しかったから、私自身の世界も広がりました。そういう経験はたぶんもう実際ごしょごしょクラブではみなさんお集まりになっていろんな活動なさってらっしゃる中で、日常生活の中で、経験なさってることだと思うんですけれども。
<HSは自分たちの文化、生き方そのもの>
HSっていうのは、子どもにとってだけじゃなく親にとっても、とても楽しい素敵な体験になります。HSで大切なことっていうのは、家族が、家庭が文化を持ってくことだと思うんですね。自分たちの文化、自分たちのスタイル、ひいては自分自身の生き方、スタイル、そういうものを持っていく。それは結局子どもに、これからどう生きていくんだってことを提示していく一番大きな情報になると思いました。そういうことの中から子どもは自分がどう生きていけばいいのか、どういう大人になっていけばいいのかっていうことを自分自身で見つけて自分のものにしていく、そういうことができていくんだと思います。それは学校ではなかなかできないことだと思います。学校教育に関しては、言いたいこといっぱいあるんですけれども、一応このあたりで私の話を終わらせていただいて、みなさんにいろいろ言っていただきながら、お互いに交流していけたらと思います。どうもご静聴ありがとうございました(拍手)。
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家庭で育つ子供たち──日本のホームスクーリング事情あれこれ──(2)
2003年6月28日 法然院にて
お話: 久貝登美子さん(HSNひめじ)
姫路からのおみやげや手作りのお菓子をつまみながら、参加者みんな輪になって自己紹介
岡:ごしょごしょクラブは4年前にできまして、今、常時参加しているのは10家族ぐらいです。名前と子どものことなど何かあればひとことお願いします。ごしょごしょの方から。
森田:HS始めて8年です。ホームシューレができてすぐ会員になりました。子どもは4人。一番下の娘が今度通信制の高校に入りました。上は社会人になってる子も、また高校に行きだした子もいます。久貝さんのお話しはほんとにその通りだ、その通りだと思いながらおうかがいしました。
土屋:今年の4月ぐらいからお仲間に入れてもらって。3人子どもがいて真ん中の子が中1から不登校なんですが、ここに入れてもらってすごく明るくなって楽しそうにしてます。
松本:うちは保育園の途中から行かなくなって。HSというのを始めて知ったのはごしょごしょクラブに来始めてからです。ほんとによかったなと思います。
田中:小学校の6年生からいじめが原因で行かなくなりました。はじめは親もすごく落ち込んで、どうしたら明るくなってくれるかと。親は半分は学校行かせたいっていう気もあったんですけど、半分は子どもの笑顔がみたい。前から岡さんの所を存じ上げてましたので、みなさんに会えて非常に救われました。今はもう、ケンカしながら楽しくやってます。
八田:娘が一人います。小学校3年生の時に学校がいやで体の方に出て、朝になったらおなかが痛いやら吐くやらで、一週間のうち半分以上行けなくなって、学校が合わないなーっと思っていたけども、私の口からは行かないでいいよというのはやめておこうと思っていて。ある日ついに「行きたくない」と言ったので「いいよ!」(笑い)って。私は学校きらいだったんで。それ以来、気に入った時は学校に行ってますが、ほとんど学校に行かない状態で、今中3です。
菅野:子どもは4人。上の長男が今19なんですけど、中2になった時に行かなくなりまして、それから順番に伝染して(笑い)、4人とも行ってません。京都の上京区の御所の近くに夫の方の実家があるんですけど、昔、病院をやっていた関係で広いもので、いろいろ遊び道具を徐々に充実しまして、卓球とか、ミニビリヤードとか(笑い)、麻雀部屋とか(笑い)、陶芸もできるような部屋もあるんですけど。みんなが集まって家の資源を使っていただいてるのでうれしいです。働いていますので、子どもの面倒みてもらったりとか、ほんとにつながれてよかったと思ってます。
岡(父):久貝さんのお話を聞いて、何年に何されたということがきちっとわかったんで、先駆的だったんやなという認識を新たにしました。
中西:子どもは6歳の男の子で、今年から小学校行く年齢なんですけれど、親の気持ちを優先して行かせてません。本人は幼稚園も保育園も行ってないんで、自由気ままにやってます。これから先どうなるかわかりませんけれども、もっともっとこういう感じでいきたいなと思ってます。
岡:子どもも一言いうかな、なんか。
こども(多数):いや〜(笑)。お前やれ〜(一騒ぎ)。
続いて、ひめじのみなさん、参加者のみなさんの自己紹介
小野:久貝の連れ合いで小野といいます。名字が違います。別姓でやってます。娘はもう家出ちゃって手元にはいないんですけれども、HSでよかったなあって思うのは、ぼくは家でずっと仕事をしてますので、子どもの成長がずっとみれたっていうことね。どんなことに興味を持ってどんなふうに育ってきたかっていうのがずーっとみれて、親にとってすごく喜びだったなあと思ってます。
生田:加古川の生田です。うちは子どもが就学時よりももっと前から久貝さんとおつきあいさせていただいてましたんで、こういう選択肢があるということを子どもに知らせた上で小学校に・・・。だから結構スムーズにHSに移れたなーって、とてもありがたく思ってます。
Aさん:お話の中で、ガマンしなくていいという部分は、私にとってはかなりショックでした。
Bさん:HSという言葉は耳にするんですけど、具体的なことが何もわからなかったのでちょうどいいなと思って。久貝さんのお話はとても納得することばかりでした。
Cさん:小学校のPTAをしております。一昨年から不登校を取り上げてお話ししようという場を一年に一回設けてきました。不登校してる子のお母さんと、その予備軍ていうか、そうなった時のためにというお母さんに集まっていただいたんですけれども、深刻さの度合いが違って話がかみ合っていない部分もあったので、どんなふうにしたらいいかという勉強のためにきました。
Dさん:PTA本部の役をしています。3年前から不登校の会を持ちましょうということで岡さんとの出会いもありました。去年不登校だった子どもさんが5年生から急に学校に行きだしたって方もいて、なんか複雑な気持ちで、今日はHSのことを聞かせていただきたいと思って来ました。
Eさん:子どもは5年生と3年生です。子どもたちが生まれた頃から、フリースクールのことなど知ってましたんで、小学校に上がる頃には、いろんな選択肢があるっていうのは知ってました。こちらはそういう準備を整えていたにもかかわらず、子どもの方が今んところ学校行ってます(笑)。なんかそういう皮肉というのはあるんかなと。日本HS支援協会のメンバーではあるんですけど、実際に関わり持ったのは初めてなので、新鮮な感じを受けてます。
Fさん:お寺であるって聞いて、それもなんか行きたくなるような雰囲気で。すごくいい所でお話を聞けてよかったです。なんか皆さん、お父さんやお母さんのお顔見てたら、みんなすごいいい顔してはって。私も早く、皆さんのようにいい顔になれるようになりたいと思います。
以下討論
Cさん:次男が一時入院してて、いざ学校に行くという時、行きたがらないことがありました。その時に、がまんしなくて休んでいいよという時と、がんばっておいで、と押し出す時といろいろあるんですけど。例えば今日のお話も、ガマンしてまでしなくていいということだったんですが、水泳でガマンしてがんばって泳いで、泳げるようになった達成感や喜びっていうのもあると思うんです。がんばんなさい、ガマンしなさいっていうその境界線をどこに引いていいのか、いつも迷う所なんですが。
久貝:基本的に学びっていうのは誰のものかっていうことですが、学校は何で行くのかっていうと、学ぶため、お勉強するために行くんですよね。学校の中心にはまず教科学習っていうのがある。水泳とかそういうこともひっくるめて、学びっていうのはいったい誰のためにあるのか。本来はその子ども自身の手にであるはずのものなんですね。それだったら、子どもの主体性でそれを選んでやる、そうであるべきものですね。
すごく現実的な話、これ覚えなさいって言われて興味もないのに覚えたものは、結局すぐに忘れてしまいます。学校教育の体系っていうのはほとんどがそうですよね。あらかじめカリキュラム、時間割が決められてて、算数がやりたいのに国語の時間だとかね。とにかく自分の興味とか気分とかに関係なくやることが与えられてそれをやってかなきゃいけない。
私がなぜやりたくないことはやらなくていいって言ったかっていうと、学びは誰のものかっていうことなんです。子ども自身のものであるなら、子どもに任せればいい。興味がなければ学べない。それは皆さんもうご自身の体験の中からよくご存じのことだと思います。子どもって興味のあることだったらもう驚異的に覚えていきますよね。でも、興味がない時に、それを覚えるとかやりなさいって言われたら、それをするためにすごい強制的な力が必要になってくるんです。だからその強制的な力を加える時に、子どもに対して、大きなストレスがかかる。そのストレスがどんどんたまっていってその結果、いろんな学校での問題が起こってきている。いやなことやってる時っていうのは絶対気分がよくないわけですから、学校では秩序を保たなくてはいけないとか、イライラを抱えた子どもたちを管理しようとするわけです。そのためにいろんな力を加えていかなくてはいけない。ムチとアメですね。子どもを力でもって動かしていく、操作していく。子どもはそういう中でいったい何を学んでいくのか。支配の中で学んでいくっていうのは、子どもの中にどういう経験が育っていくのか、すごく怖いことだと思うんです。
やりたいことをやる、自分はこれが知りたい、で、それをやる、その結果を自分で得ていく。それは何ものにも代え難いものですね。それは、人の評価がどうだからっていうことじゃなく、自分自身でそのことを評価していけるんですよね。他人の評価を求めない。それは、自尊感情だとか自立心だとか、そういうことにつながっていきます。絶えず他者からの評価だけを求めてやっていくっていうことはほんとに自分の達成感なのか。ほめられたからやってるだけかもしれない。それでも達成感があるからいいじゃないかと一般的には言われるんですが、それがどれだけ自分の内面を豊かにしていくものなのか、私はちょっと違うような気がするんです。ほんとに自分で選んでやってやった時は、少々苦しくてもやっていけますよね。好きでやってたら苦しいことでもやれますよね。そのことが大切。よそから、これをやれ、あれをやれ、苦しくてもがんばってやれ、それが大事なんだっていう価値観を植え付けられていくと、その先にあるのは、ちょっと飛躍しますけれど、今、日本の社会が軍国主義の体制に流されていく、とにかく言われたことには従わなくてはいけない、いやなことでもガマンしなければいけない、そういう精神構造になっていくと思うんです。そうなってしまったら、ガマンに耐えられない者に対して、すごく攻撃的になってくる。それって今の学校の中で起こっていることだと思うんですけど、従えない子とか、みんなと同じように動けない子とか、そういう子に対して、すごく攻撃的になってきていますよね。みんな我慢してるのに、なんで我慢しないんだって。
岡:私たちのようにもう何年も学校の外に出てしまった者には、ストンとおなかに落ちることなんですが、ふつうに学校とつきあっておられる方にはなかなか理解しづらいかもしれません。確かに学校では、目標を決めてみんな頑張れ、頑張れ、やったーっていうようなことが非常に多いので、久貝さんが言われた我慢の意味については違和感を感じるかもしれません。私は我慢には二種類あると思うんです。自分がやろうと決めてやるガマンと人から言われてやるガマン。人から言われてやるガマンというのは、さっき久貝さんは拷問というふうに言われましたが、私もそれは一種の虐待だと思います。
小野:うちの子が行かなくなった原因には一つプールがあると思うんですけど、プールのことはよく言われるんですよ。泳げないよりは泳げる方がいいでしょうって。だから少々ガマンさせても泳げるようにした方がいいじゃないですかっていう人はたくさんいるんですよ。ぼくはいつもなんでそんなこと言うんかなーって、すごく思ってたんだけど、学校に行くとプールしますよね。それってね、学びじゃない、訓練なんですよ。そうでしょ。だって泳げない子をプールに入れて、はい、25メートル泳げっとか言うわけですよ。で、25メートル泳いだら次は50メートルとかって、どんどん増やしていく。泳げるようになったら賞状渡したり、ほめたりする。そんなのね、教育じゃないですよ。職業訓練と一緒。そんなことを学校でする必要があんのかなーって、ぼく思うんです。泳ぎたいと思った時に、スイミングスクールとか何かに行きゃいいんですよ。そりゃ海で溺れた時とか、泳げた方が助かる確率は多いんだけれども。それは個人の意思で選んでやったらいいと思うんですよ。
それと、もう一つよく言われるのは、英才教育ってありますでしょ。子どもの時からバイオリン習わせてたら、子どもはすごくいやがったけれども一流バイオリニストになったと。その子が言うには、子どもの時はすごくいやだったけれども今はお母さんに感謝してる、と。でも、そんな一人の五嶋みどりの陰には一万人ぐらいのね、親を恨んでる子がいるんですよね(笑)。絶対。だからほんとうに一握りの成功をもって、だから子どもは小さい時から英才教育をしていやがろうが何しようがとにかくせないかんのやっていうのは、絶対間違いだと思う。そんなの子どものためでもなんでもないし、教育でも学びでも何でもないし、それは単なる親のエゴだし職業訓練してるだけ。その二つを、ぼくはいつもいっぱい人から言われるから。
久貝:自分の持ってる能力をどういうふうに伸ばしていきたいかっていうのは、自分で決めていいものだって思うんですよね。よそから、あなたはこういう風になりなさいっていわれる筋合いのものではないんです。今の学校教育っていうのはそんなこと自分で決められない。大切なのは、自分のことを自分で決めるってことなんですよね。だからそこの所で考えていけば、学校に行っていいよとか、行かなくていいよとか、親が決めることでも学校が決めることでもなくて子ども自身が決めることだと思うんです。それを子どもの権利としてきっちり、まず社会が認識しなければいけない。だから、どこで親が決めたらいいかっていうようなことじゃなくて、子どもが行きたいか、行きたくないかなんですよね。
子どもっていうのは、すごく社会を見てます。社会の体制っていうか、流れっていうのを、すごく感じています。だから、ある意味すごく保守的だし、体制順応主義者だし。子どもたちは大人が思う以上に行かなきゃいけないっていう意識を持ってます。だからその上で行きたくないって時はほんとに行きたくないんです。なんか行きたくない、おっきな理由があるんですよ。そこんところをそういう風に子どもの権利として見てあげるっていう視点を大人が持つってことがすごく大事だと思います。
岡:私たちはHSって言ってますけど、全然学校を否定してるわけじゃないんです。だから先ほどお話のあった、不登校だったけど学校に戻られた子どもさんの話ですが、それは別に不自然とは思いません。それはその子が何年間か家で過ごして、学校以外の場所も見て、元気になって、それで戻ったんです。私はそれがその子の意思であり、楽しく過ごせる所なら、家でも学校でもフリースクールでも、その時その時で選べばいいと思っています。もしまたしんどくなっても、学校に行けない自分を責めないで、別の世界に行ったらいいだけっていうことを思い出して欲しい。そうしたら、学校にも楽に行けると思うんです。
だからそういう意味で相反するものではないと思うんですが、普通はいろんな方法や場所があるということを知らないから、学校に行けなくなると親は焦るし子どもを責め立ててしまう。学校に行けと。だから他の場所(別の方法)を知っていたら、行こうが行くまいが、それはもう子どもの意思で、こちらがどんと構えていたら、あわてることもなくなる。事務的なめんどくささはあるけれども。私たちの集まりっていうのは、その選択肢を広げたいっていうだけのものなんです。もちろんもっともっといろんなタイプの学校や学び方が増えて、それらを自由に選べ、行き来できる世の中になればいい。でも選択肢のほとんどない現状では、HSという考え方を知ることで、しんどい「不登校」が楽になる可能性は非常に大きいと感じます。
Eさん:公立小学校の保護者が集まると出てくるのが、今度うちの子はどこそこの塾行かしてましてとか、4年生やったらもう受験勉強始めなあかんねとか、そういう話ばっかりなんです。逆に学校の先生なんかは、なるべく楽しいことをしようと努力してはるとこもあるんです。だから学校の先生とはまだ付き合えるかなと思うんですけど、周りの保護者と付き合うと疲れるので(笑)、最近学校に私は行かないんです。そういう点で、HSの仲間同士ではどんな話してはるんか興味があるんですけど。
久貝:HSでやっていこうと親の方も決めた時に、その時の子どもの状況として、とても学校的な勉強、教科学習とか、そういうものをとても避けたがる傾向があるんですね。中にはベネッセ取ったり公文やったりしてる人もいましたけれど、子どもには無理にならないように強制にはならないようにってことはよくわかってらして、子どものペースに任せるってことでそれぞれやってらっしゃるけれど、集まった時に、私がいたせいかもしれないですけど(笑)、あんまりそういう話題は出なかったですね。
岡ここでは、一人一人の子どもの興味がどうだとか、こんなことしてうれしかったとか、今度あそこに行こうとか、そういう建設的なというか前向きな楽しめる話ができて、ほっとするんですけど。他の方たちどうでしょう。
菅野:イベントの計画に大きな力が割かれてるかも(笑)。月一回ごしょごしょ会って例会があるんですけど、週一回の集まりの時に何しようという話になって、今度夏祭りをしたい、じゃあみんなでお店を出そうとか、そんな話で盛り上がっていきますねえ。
森田:それから子どもがどういうふうに成長したかとか、どんな風に興味が発展していったかとか、そういう成長のステップを、私なんかは話していくのが楽しいし、それをみんなが、ふーん、そう、よかったねえってほんとに受け取って聞いてくれるんですよ。そういうのがねえ。
岡:なんか半分家族というか大きな家族みたいになるので、みんなが共同で子育てしてる感じです。よその子の成長も楽しみだし、自分の子の成長も喜んでもらえる、というような関係で。年月が経つにつれて。姫路もそうだと思いますけど。
小野:しばらく顔見ない子がいると、あの子どうしてんのかなあとか。自分の子じゃないのにすごく気になりますよね(笑)。顔見せてるんだけど、ちょっと問題抱えてるような感じがするとか。例えば一日ゲームばっかりやってる子がいますよね。ゲームやめろとかいうんじゃないんだけど、どうやったら他の方に興味をどうやって持ってくれるのかなっていうようなことはよく話しするし、人の子なのにすごく気になりますよね。
岡:幼稚園や保育園では親同士、わりとよく顔も合わせますが、小学校に入ると親の横のつながりってほんとにない。それこそPTAの活動でもしないと。だからどうしても関係が希薄になると思うんですが、こういう集まりをしていると、相談もできるし、頼りがいがあるし、子どもも預けられるし、核家族にとってはありがたいなと思います。
久貝:子どもにとって、自分の親以外の大人とごく身近に接することができるっていうのは、とても大事なことだと思うんですね。特にティーンエイジャーになってきた時に、例えば男の子なんか16、17ぐらいになってくると親批判が始まるんですけど、親には直接言えないけれども、私たちにワーっと言う。そういうことが話せる大人が親以外にいるというのはすごく大事。お互いが子どもにとって、いいかどうかは置いといて、大人モデルとしていろんなタイプの大人がいるってことがわかれば。違う価値観もあるってこともわかるし、そういう意味でこういう集まりっていうのはすごく大事だなーって思います。
中西:ぼくは一年前から入れさせてもらってるんですけど。子どもを見始めたのは3年前からで、その時から仕事は辞めて、いわゆる主夫です。京都に来て4年目ですが、やっぱりあんまり似かよった方いないんで、話が合わないんですね。昼間は家庭に入ってる女性の方がほとんどなんですが、直接ぼくが話したらおかしなやつだと思われるし(笑)。ほんと静かに暮らしてて。それでこういう場所知って、こういう家庭の方々と会って。みなさんやさしいし、すごく話しやすいし、すごく気持ちいいですよ、だからうれしいなと。それから、学校批判するつもりないんですけれども、ぼくとしては子どもを学校にやりたくないという気持ちは非常に大きいですし、もちろん妻もそうだし。確かに泳ぐこととか、勉強のこととか、心配はあるんですけれども、言われたように、夏暑かったら泳いで、そしたら泳げるようになるし。そんな感じで気楽にやっていきたいなと思ってます。もっと仲間も増えたらいいなと思ってます。
Dさん:3人子どもがいます。長男は大学1回生。高校卒業する時に、「お母さん、すごい楽しい学校だったから、もう一年このクラスをやりたかった」と言って大学へ行きました。次男はマイペースなので勝手にさせてきた。高校受験の中3の時に非常に悩みまして、「何で学校行かなあかんのやろか」とか、「学校行って、大学出て、いいとこに就職して、それがどうなんや」みたいなこと言いながら高校に入りました。小学5年の娘は、両方のお兄ちゃんたちをれぞれのいい所、悪いところを見ながら、もっとも朗らかに成長しています。5年生になって「岡くんとまた一緒のクラスになった。岡くんの机があるから、早く学校へ来れたらいいのにね」って言ってます。
岡:学校には机はいらないとお伝えしてあるんですけど。娘さんがやさしい素直な気持ちで言ってくれたのはよくわかっています。ただ空の机を見て「来て欲しいなあ」と思われるのは私たちにはしんどいのです。ただ「会いたいな」ならいいんですけど。
「机はいらない」と私が思うのは、うちみたいに当分学校に行かないことにしている子の机があると、まったく使わないのに掃除の時にはだれかが運ばなければならず申し訳ないという気持ちがあるのと、「本当は来るはずなのに来てない子」というイメージが作られると、どうしたって悪いことをしているように思われるからです。もし行く気になったら、転校生のように、その時用意してもらえば何の不都合もないわけですから。先生には毎年こうお話しますが、ほとんどの先生は「クラスの一員だから」と言って下さり使われないままの机はいつも教室にあります。先生のお気持ちもあるので、もうお任せしてありますが。もちろんこれは私個人の思いであって、中には机はおいておいてほしいという親もいると思いますけど。
Dさん:私はPTAの役をやることで、確かにいろんな先生がいて、腹の立つ先生もいますけれども、なんとかこの小学校をよくしていこうと思ったら、片手は自分のために使ったらいいけれども、もう片手はだれか違う人のために使いたい。だからよりよい学校のために協力したいと思ってます。3人の子どもを通じてそれそれの保護者との出会いがあって、きょうの出会いもまた何かの縁で、大事にしたいと思います。
岡:学校の先生も他の子どもたちも、親切心からたいていは来ない子に対して、待ってるから来てほしいって言うんです。気持ちはわかるんですが。ただこちらの立場から言うと、その子が学校を楽しいと感じるなら、それは十分楽しんでもらったらいいと。例えばこの食べ物は好きだけど、あれは好きじゃないってことがありますよね。この食べ物がおいしいからどうしても食べさせたいっていう人が、私たちの周りには溢れてるんです。学校はいいとこで楽しいからぜひ来なさいって。確かに楽しい子もいるだろうけど、そうじゃない子もいる、ただそれだけのことなんです。だから、学校以外に楽しめる場所を持っている者に対しては、学校に引っ張るんじゃなくて、ただ、あらそうなのって見ていてくれると、私たちは一番ありがたいんですけど。
久貝:学校教育のいいところっていうのも、確かにあると思います。学校が楽しいって方は現実にたくさんいらっしゃるから、楽しんでいらっしゃるってことを否定するつもりは全然ないんです。ただ大事なことは、選べるってことなんです。今学校はいろんな問題を抱えていて大変な状態で、学校をよくしないといけないってこともすごく大事な課題だっていうことはよくわかります。もしね、こんなことはないと思うけど、日本中の公立学校がすごく楽しいところになって子どもたちみんな、わー、うれしいって、もう夏休みなんかいらないってほど(笑)楽しくってしょうがないような学校になればね、それはそれでいいと思うんです。でもそうなっても、みんなだから学校に行きなさいっていうことじゃない。そういうふうに学校がよくなっても、そこでやっぱり選べるってことが大事なんだと思うんです。
だから私がずっと言ってきたのは、まず選べなきゃいけないんだっていうことなんです。選べるためにはHSってこんなに楽しいよってこと、やっぱり言いたいじゃないですか。そう言うと、じゃあ学校は楽しくないのってこと言いたくなる人もたくさんいると思うんですけれども。要するに、選べるんだ、選べなきゃいけないんだってことを伝えたいだけ。どうしてもHS選ぶ人は少数ですから。その少数派の権利は多数派の人から見れば、自分たちはこんなにいいのにどうしてあなたたちそれを選ばないのっていうふうに対応する場合が多いんですね。だけれども、それは多数派の善意ではあってもやっぱりおせっかいだと思うんですよ。
ちょっと話が大きくなりますけれども、民主主義っていうのは、何か物事決めるときに多数決で決めますけれども、多数決で決めるってことが民主主義の原理じゃないんですよ。実は少数派の権利が守られていくってことが民主主義の中で一番大事なことだと思うんですね。みんながみんな学校が楽しくてみんな学校選ぶけれども、一人でも、いや学校はいやだ、おうちでやっていくんだって人がいたらそれも認められる。それが大事なことだと思います。だからそういうふうに、学校選んでる方も思っていただきたい。だから選べるんだっていう土俵に立てば、みんな同じ。こっちがいいとか、そっちはだめだとかいうことじゃなくて。
田中:私の所もごしょごしょクラブに入ってすごく救われたんですけれど、今引きこもってる子たちがいっぱいいますよね。その子たちが私たちみたいに、家庭でHSやったらいいんだよっていうことで、お母さんたちが学校へ行かそう行かそうってしなかったら、ひょっとしたら、もっと明るく自分の人生を作りながらやっていけたんじゃないかなって。そういう子どもさんを持ってる親御さんたちに気持ちを変えてほしいなって思うんですよね。学校だけじゃないんだよって。学校だけが子どもを成長していくための栄養じゃないんだよって。親が変われば子どもはきっと変わってくれると思うので、引きこもりから出てこられるようになったらすばらしいんじゃないかなって。そういうこと周りでいっぱい聞いてるので、この頃、いつも思ってます。
岡:私、一番思うのは、いっぱいいろんな人にいろんなこと聞かれるんですけれど、子どもたちを見て、みんなびっくりされることが多いんです。「普通やね」とか、「元気やね」とか。その普通で元気な当たり前の姿を見てもらうことが一番説得力があると思うんで、学校に行かなくてもこんなふうに育ちますということを見ていただけたら。
小野:あともう一つは、今がんばらないいかんとか、塾行かないかんとか、気持ちの奥にはには将来の不安ていうのがあると思いますが、将来どうなるかっていうのも、見ていただくといいんじゃないかなと思います。
森田:うちはもう社会人になった子が一人いるんですけれど、中学をほとんど行かないで高校は定時制に行って、今一番規律の厳しいところでやっております。我慢しないでやりたいことをやってきても、我慢しなきゃいけない時、自分のやりたいことのためならば、ほんとに我慢して耐えてやってます。パイロットになりたくて、その教育と訓練を受けてます。よく、家にいたら社会性が育たないって言われますね。集団でやらないといけない仕事なので、試験の時に一番求められた要素っていうのが、社会性とか協調性だったんですが、その試験に受かりました。
どういうところで社会性が育っていったのかなと考えると、生まれながらのものもあると思うんですけれど、7人家族の中でごちゃごちゃ家でやってこれたというのと、ごしょごしょクラブでいろんな大人と接した、いろんな年代の人たちと一緒に野球をしたり、いろんなことして過ごしたっていうことで、大きい人にも小さい人にも、力のある人にも苦手な人にも、うまく接する力っていうのを自然に育ててもらった。だから、こんなやり方で将来どうなっていくんだろうかって思っていたし、まだ全部の子どもが社会人になってる訳じゃないですけど、こうして一人巣立っていきましたので、まあこれでいいんだろうと思ってます。
久貝:うちの娘は18歳になって、家を出て友だちとホームシェアをしてるんですけれども、先ほどお話したアンケートに娘が書いた言葉で、「自分の今までの18歳の今までの人生をとてもいとおしく思う」って書いてたんですね。私は直接はそういう言葉は聞いてませんけれど、そこに書いてくれて、彼女の18年という人生が彼女にとっていとおしいものだったと書かれる、そのことがとってもうれしくって。親ばかですけれども、よかったって思ってます。娘がどういう人生送っていくかまだわかりませんけれども、これまでの人生っていうか、HS選んできて、これが一つの成果なんだなって。
岡:わりと学校に行ってる子どもたち、特に日本の子どもたちは自己否定感が強いってよく聞きますけれど、このあたりには(周りの子どもたちを見回しながら)あんまりいないですね。ちょっと過剰なくらい自信過剰というか(笑)。親もかな(笑)。ほんとに同情されることも、不幸だと思われることも多いですけど、普通にそれなりに楽しくやってる世界もありますということで、これからもぼちぼちやっていけたらと思います。
それではこのへんでおひらきにしたいと思います。きょうは雨の中、どうもありがとうございました(拍手)。
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